【レビュー】トビリシの「平和の橋」に行ってきた!

子連れ観光スポット
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ジョージアを代表する観光名所といえば、グルジアとイランとトルコの友好関係の証でもある「平和の橋」(Bridge of Peace)。

 

どの時間帯に訪れても美しい姿を見ることができますが、特にイルミネーションが綺麗なので、日が暮れてからの時間は必見です!
すぐ近くには、大型ショッピングモール“ガレリア・トビリシ”があるので、グルメやショッピングも楽しめます。

 

映画館や室内遊園地など、1日中いても飽きることのないエンタメ施設が充実していますよ

 

 

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【レビュー】トビリシの「平和の橋」に行ってきた!

 

平和の橋(Bridge of Peace)について知りたい人
平和の橋ってなんですか?
ジョージア観光する時のオススメな場所と聞いたのですが、家族でいくので少し調べてから行こうと思っています。
何かあれば教えて欲しいです。

 

トビリシに来たら1度は行ってみたい「平和の橋」について概要と歴史を解説します。

・平和の橋(Bridge of Peace)の概要
・平和の橋(Bridge of Peace)の歴史

 

 

平和の橋の歴史を知ることができれば、違う観点からも観光ができるので、一段と楽しむ事ができるので、オススメします!

 

平和の橋の歴史【イラン人が日本語で解説】
記事が面倒くさい人は動画で解説しているので、こちらからご確認ください。
イラン(ペルシャ)とジョージアとトルコの歴史的関係性が理解できますよ。
【平和の橋】ジョージアとイランの意外な関係…【1000年前編】

ではいきましょう!

 

 

平和の橋の基本情報

2010年に開設されたばかりの新しい歩行者専用の橋が”平和の橋”です。
トビリシ市の旧市街(東側)と新市街(西側)のまさに架け橋です!

 

ガラス張りで鉄骨を組み合わせた近代的なデザインで、夜にはライトアップされていて美しい姿を観ることができます。

橋の周りは観光スポットになっていて、温泉街や教会、ロープウェーに乗って行くトレッキングコースもあるので、一度このエリアにいくと多くの時間を楽しめると思います。

 

また夜にはライトアップされているので、昼間の表情が違います。
治安は安全なので、子連れでも安心して楽しむ事ができます!

 

レビュー

夜の外国の街は危険!?と心配しましたが、夏は20時でも明るいので、人が多く歩いていて、特に危険な感じはしませんでした。

なんといっても斬新なデザインです。柱は城に統一され、屋根がついており、これがライトブルーのクリスタルデザインでなかなか凝っています。

 

 

美しい形の橋です。周囲の古い街並みとは相反する斬新なデザインですが、それがとても雰囲気とマッチしていました。特に夜ライトアップされる橋は美しいです。平和の橋と上空を跨ぐロープウェイのコラボレーションは最高です。

旧市街の観光した後、平和の橋を渡って対岸のガレリアまで行きましたが、途中にある公園にはたくさんのファミリーが散歩していました!

 

平和の橋(Bridge of Peace)の歴史

今回は、ジョージア在住者のイラン人に「平和の橋の歴史」を教えてもらいましので、
そのままお伝えします。

イランとグルジア(ジョージア)は、昔は1つの同じ国でした。

そこから物語が始まります…。

 

「平和の橋」の物語

Bridge of Peace

1500年以上前のお話です…

 

グルジア(ジョージア)はイラン帝国が支配するの街の一つでした。

グルジア人は「ペルシャ人」という括りで呼ばれていたそうです。

 

しかし

 

1,000年前のイラン帝国とトルコ帝国の戦争で

グルジアがイランを裏切り、トルコと手を秘密裏に結びました。

 

そして…

 

グルジアはトルコと共に、イラン帝国と戦争がおこなわれました。

 

結果、

 

グルジア人がイラン帝国を裏切った影響により、
トルコ・グルジア連合軍は勝利

 

たくさんのイラン人が殺されたそうです。
戦争でイラン帝国が大敗をしました。

 

 

月日が流れ200年後…

 

 

イランとトルコがもう一度戦争を繰り返しました。
イランのリベンジ戦争です。

 

その結果、

 

2回目の戦争で、イランが勝利…。

その戦争の帰り道で、イランの戦士たちは

 

グルジアに立ち寄り、

平和の橋で1000人のグルジア人を裏切りの報復・復讐として殺したそうです。

更に、200人のグルジア人を奴隷としてイランに連れて帰りました。

 

グルジアとイランとトルコが関わった過去の悲しい歴史を

二度と繰り返すわけには行きません…。

 

胸に刻みましょう。

 

今では、

グルジア人が殺された(であろう)橋がモニュメントとなり、

「平和の橋」と呼ばれるようになったそうです。

 

 

 


上記の歴史から「もうこんな事が二度と起こらない様に。」と願いを込めて近代的に作られたモニュメントが「平和の橋」の歴史です。

 

この歴史は語り続けられいて、同じ悲劇が起きない学びを国の教育としているそうです。

 

「今では、ジョージアとイランはとても友好的な国なので全く問題は無い」と友人(イラン人)は語ってくれました。

 

まさに、架け橋

 

 

平和の橋の知られざる歴史【イラン人が日本語で解説】
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。YouTubeより
ジョージアの首都トビリシの生活と街について外国人に聞いた
【結論】家族移住・海外移住におすすめです!裏事情あり
【外国人から見た】ジョージア人の女性について
ジョージア人の女性はこんな人だった‼︎!‼︎

 

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